2010年5月29日土曜日

思いを伝える言葉

今日も話のネタは、涼宮ハルヒである。
興味の無い人には、またかと思われるであろうが、
あくまでネタだけであって、話の本質は関係無い。

だったら早く予告ばかり長いDVDみたいな前置きは止めて、
とっとと本題に入れと言われそうなので、そうする。
(勿論皆さんがそう思っていても言わないのは知ってますが)

朝比奈みくるの冒険(涼宮ハルヒシリーズである)と言うDVDをご覧になった方はご存じだろうが、しゃべるネコが登場する。
名前はシャミセンと言い三毛猫のオスだそうだ。

ちなみに三毛猫のオスは非常に珍しいらしい。

このシャミセン(ネコ)とキョン(主人公)との会話は大体以下のようなものだった。

キョン「ネコが人の言葉をしゃべるなんて」

シャミセン「私が発した鳴き声がたまたま人の言葉に聞こえているだけかも知れないではないか?」

キョン「だって、ちゃんと俺の問いかけに返事しているじゃないか。」

シャミセン「私の発した鳴き声が、たまたま君の問いかけに合致するように聞こえただけかも知れないではないか。」

キョン「そんなこと言ったら、人間同士の会話だって成立しない理屈になるじゃないか。」

シャミセン「まさにその通り。人間は言葉によって完全な意思疎通が出来ているとは言えない。」

どうです?
私はこのシーンをみて、シャミセンを家で飼いたくなってしまった(笑)

攻殻機動隊でもタチコマが言及するように、意思伝達の方法としては言語は非常に不完全で、仕事上でも私生活でも歪みのない情報を伝達するためには、細心の注意を払って言葉を選ばなければならない。

このブログにしたって、私の思いがどれほど伝わっているかは誰にも検証の方法が無いのである。


では、言語は人類が創造した出来損ないの意思伝達方法なのであろうか?

私はそうは思わない。
言葉は人類の素晴らしい文化である。

例えば、景色を見た感動を伝えたいとき、写真と絵画では、写真の方が優れていると決めつけられるだろうか?

私はモネの「睡蓮」などを見たとき、
絵画は時に写真よりも人の気持ちを伝えられるのだと感じる。


言葉も同様で思いを伝えるために、単語を選ぶ楽しさがあると思うのだ。


さらに、言葉はコミュニケーションを行う上で、重要なクッションの役割を果たしていると考えている。

考えてもみて欲しい。
話している相手の意思が完全な形で伝わったら、
善意だけでなく、悪意も伝わってしまうではないか。

言葉は紡ぎ出す喜びや、優しいウソをつく力を持っているのである。
(∩_∩)y-~


おまけ
☆言葉には私のように、頭の中身の足らない人間でもそれらしく振る舞えると言う利点も備えてい。


☆私が涼宮ハルヒと愉快な仲間達が好きな理由は、楽しい話であると共に、こんな風に物を考える刺激になっているところだろうと思われる。


☆今は長門(娘)の塾が終わるまでの時間を利用して、ハルヒ(かみさん)とユメタウンで買い物中である。

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